「州間高速道路」の登場と「ルート66」の衰退

route66
アメリカの近代文化の象徴ともいえるまでに
発展し続けた「ルート66」。
 
どこまでも続くかに見えたその姿も、
時代の流れにのまれていってしまうのです。
 
 
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において、
アウトバーンを目にしたアイゼンハワー。
 
「アメリカ合衆国にもそのような高速道路網を」と1956年、
連邦補助高速道路法に調印、この法律により、アメリカ合衆国内の
主要な国道は次々に州間高速道路に置き換わっていったのです。
 
国道66号線の衰退への道はここから徐々に始まっていきます。
 
 
高速道路の技術が発達するにつれて、技術者たちは
常に都市間を直線的に結ぶルートを考えるようになっていきます。
 
 
国道66号線も例外ではななく、第二次世界大戦後の交通量の
激増によって、両州の4車線に拡幅された「国道66号線」の
ほとんどの部分は、
 
後に州間高速道路へと置き換えられていくことになったのです。
 
 
1953年、初の大型バイパス有料道路、「ターナー・ターンパイク」
(Turner Turnpike)が開通。
オクラホマ州のタルサ・オクラホマシティ間(全長140km(88マイル))を
「国道66号線」に並行、沿道の町を迂回。
 
1957年に「ウィル・ロジャース・ターンパイク」(Will Rogers Turnpike)
と合わさり、タルサ・オクラホマシティ両市とミズーリ州の
州境の町ジョプリンとを結んだ。
 
この有料道路もまた、国道66号線に並行、
沿道のオクラホマ州北東部やカンザス州内の町をことごとく迂回。
 
 
この頃になると、「産業の損失となるのではないか」
という懸念から、「国道66号線協会」が
州間高速道路の建設反対を訴えるようになります。
 
 
「州間高速道路」は地上の道路とランプウェイでのみ
接続する形であるため、道路の開通によるビジネスの機会に
つながりづらかったのです。
 
また、「国道66号線」との関連性で有名だったいくつかの企業は
「66」という番号を失うことを恐れて、
 
ミズーリ州政府に「国道66号線」のセントルイス・オクラホマシティ間を
「州間高速道路I-66」として制定することを求めたり…と、
 
このような訴訟は有料道路以外ではあらゆるところで起こりましたが…。
 
 
1984年、アリゾナ州ウィリアムズで「州間高速道路40号線」
の完成により、「国道66号線」の最後の部分が置き換えられ、
 
その翌年。
1985年、「国道66号線」は正式に廃線となり、
59年の歴史に終止符を打ったのです。
 
 
結局、
新しい「州間高速道路」には、1本たりとも「国道66号線」を
完全に置き換えたものはありませんでした。
 
 
その時代に生きる人は、その時、それがベストだと信じ、生きていきます。
 
 

「州間高速道路」により、
アメリカは更なる発展を遂げていったことも、紛れも無い事実
だと思います。
 

ただ…。
 
もはや訪れるお客のいないモーテルやレストランが廃墟となり、
様々に彩られていたであろう朽ちた看板が、今なお、
「ルート66」に佇むのも、また事実…。

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