アメリカ近代文化の象徴となった「ルート66」

route66
「ネイティブ・アメリカンの古い道」
ここから始まった「ルート66」
当然、そのほとんどが未舗装の埃道でありました。
 
そこで、「国道66号線」の舗装促進、および
利用者の増加を図ることを目的に、
1927年に「国道66号線協会」
(U.S. Highway 66 Association)が発足、
 
1938年には「国道66号線」に
全米の国道で初めてとなる舗装がなされました。
 
そして同協会は、1976年に解散するまで、
沿道の産業界側の窓口としての役割を果たすのです。
 
 
そんな「国道66号線」は「Bloody 66」(血まみれの66号線)
と呼ばれるような危険な場所もありましたが、ルートの変更などにより
次第に危険なカーブがルート上から取り除かれていきます。
 
全体的には平坦な地形で、トラック輸送には適した道路
ということもあって、交通量は日増しに増えていきました。
 
1930年代には、カンザス・オクラホマ・テキサス各州から
カリフォルニア州へ移住する農家が西へと向かうための道として、
 
大恐慌時代には、沿道の住民に安心を与える道として、
 
また、第二次世界大戦中はカリフォルニア州で軍需産業が発達し、
「国道66号線」は軍用品の運搬路としての役割を果たしました。
 
 
そうして、小さな町村を縫うように走る「ルート66」の沿道には、
各種商店やレストランなど、ビジネスを起こす機会にあふれて、
さらに発展していったのです。
 
 
1950年代に入ると、「国道66号線」の役割が物資の輸送から、
ロサンゼルスへのバカンス客の道路へと変化していきます。
 
グランドキャニオン、バリンジャー・クレーターと、人気の高い観光地もあり、
こうした観光需要の高まりにより、沿道にはモーテルや各種ショップが
建ち並ぶようになります。
 
また、沿道ではマクドナルドなどが登場。
ドライブスルーの設置や、ファーストフード産業も賑わいをみせてきます。
 
このような沿道の変化は、「ルート66」を単なる道路ではなく、
アメリカ近代文化の一つの歴史を築いたと言って
いいのかもしれない…そう思うのです。
 
 
 
現代に生きる私たちが知ることのできる「ルート66」の面影…。
 
その残像が、この当時の賑わいをかすかに運んでくれる…。
 
決して、体験できないその頃の賑わいに魅せられてしまっている、
私たちなのです。
 
 
きっと。
体験できないからこそ、魅せられるのかもしれませんね…。

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コメント

  1. へとみんさんこんにちは!
    アフィカフェのセリナです。

    先日はブログ訪問+コメントありがとうございました。
    ルート66は、歌で知っていましたが

    へえ、歴史のある国道なんですね。
    アメリカと一緒に歩いてきたような国道。
    とても興味深い記事でした^^

  2. hetomin より:

    せりナさん、コメントありがとうデス。

    ルート66…。
    歴史としては59年しかないんですが、
    その年数よりはりかに多くの時代を運んできたように
    感じるのは、「アメリカ」の持つ独特の大きさ、
    みたいなモノかな…なーんて。
    勝手に、私、思ってるんですが。(笑)

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