心の明かりまで節電してはいけないと思う。

西日本にいる私達の周囲にも、今回の災害や事故での影響が、
物流のみならず、ジワジワと表面化してきています。
 
日々報道される被災地での産業ラインの壊滅的状況を知るにつれ、元気な企業・人々が、
それぞれに担えることを、黙々とこなしていくことの必要性を、ますます痛感しております。
 
ところで、都知事さんの発言ですが、概ねの「気持ち」は分からなくはないんですよね、
「お花見自粛」。
 
ホント、他府県の事にとやかく言える立場ではないんですが、「国民総被災」を熱望するかに
聞こえてしまい・・・(私の耳がおかしいのかもしれませんが)。
 
多分、「夜間のお花見」は例年通りのような形では、ちょっと難しいかと思います、
都内で輪番停電が強いられる中、さすがに決行できる人も、したい人も、そうそう
いない気もしますし。
 
ただね。「お花見」自体を「非難」するような自粛の呼びかけ方っていうのも、
どうなんだろう・・・って。
 
多くの「名所」を知る訳でもありませんが、割と季節で賑わう所って、例えば「屋台」とか
出てたりすると思うんですね、周辺のお店も賑わうかもしれない。
 
そういう人達って、やっぱり、そこに生活なり何なりかかっていると思うんですよ、私は。
決して、「その人たちの生活の保護」の話がしたいのではなく・・・何て言うか、ちょっと偏った「配慮」に思えたので。
 
確かに、今日現在でも厳しい避難所生活は続いているし、物資の有無に関わらず、
これは続けば続くほど実は様々な悪循環を引き起こすのは、精神科医はじめ多くの
方が各所で訴えている通りだと思いますし、第一、素人の私でも、想像に難くありません。
 
分かるんです。言葉は悪いかもしれませんが「病人の枕元で騒ぐな」的なところも、
「痛みを分かれ」というところも。
 
そうして、自粛ムードが高まる中、例えば知り合いの宣伝業者さんはキャンセルが相次ぎ
「危機」に直面しているのも、現実だったりします。
 
関西の企業さんですので、今回の震災や事故の直接の影響は特になかった方々で、
元気に活動できるわけです。
 
その宣伝業者さんは、特に「集客」に特化しているプロ集団です。
賑やかしで多くの人を楽しませることもできれば、多くの人々に訴えかけることもできる、
そんな方々です。
 
その集客力や宣伝力を使って、さらに利益を上げ、そこから被災された方々や、被災地への
復興に向けての支援を考える事も、「助け合う形」の一つではないか、と考えるのは、
おかしなことなんでしょうか・・・。
 
世の中、黙々と静かにできる仕事もあれば、賑わいの中にあって成り立つ仕事もあり、
そのどちらが尊い経済活動であるのかと、誰に判断ができるというのでしょうか。
 
そういった様々な経済活動により人々の生活、しいては国家が成り立っている中で、
被災された方々と同じように憂い悲しみ、「自粛」という形で痛みを分かち合って
いたとして、本当の意味で誰が「助かる」というのでしょうか?
 
もとより、被災された方々の痛みを分かろうと思うことすら、傲慢な気さえします。
 
でももし、私なら。
「「何でもいいから」困っているところを助けて欲しい。とにかく救って欲しい。」
そう叫ぶかもしれない、とは思います。
 
幸い、今回の一連では、敗戦後の日本国自体が等しく「無い」状態ではなく、約半分、
発展国として機能出来うる状態なのです。
 
他人の痛みに配慮の無い行為は、当然、人として恥じることではあります。
だからこそ、痛みを感じるからこそ、絶対に「共倒れ状態」にだけはなってはいけない、と
考えるのです。
 
最近の日本人の在りように杞憂するところも察して、あえて都知事さんにモノ思うならば、
「もう少し、都民(国民)を信用しても大丈夫」、そう思いますケドね。
 
人々は、今回の震災・事故のこと、ちゃんと「心で感じている」と思いますケドねぇ。
ただ、都知事さんからの見え方は個々様々なのかもしれませんが。
 
一体、どこの誰に向けての「発信」だったんでしょう、アレって。

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