昨日までの節電と、今日からの節電。

今まで、一般家庭的に、ごく普通の「節電」はしておりました。
もちろん現在もそうですし、これからも続けるわけなんですが。
 
今回の福島での事故からの一連は、私にとっての当たり前だった「節電」が、
実は大きな「勘違い」であったことに気づかされる事象となりました。
 
子供の頃、例えば部屋の電気をウッカリ消し忘れたりすると、母によく
「電気がもったいない」と、叱られたりしたものです。
 
その後、生計を立てる身になって理解した出来事は、
「無人の部屋の電気を点けたままにしておく」=「電気代が増える(しかも不必要分)」
というものです。
 
「あぁ、母が言っていたのは、こういうことか」
その時はそう思いました。いや、実は最近まで、そうであったと思います。
 
でも、その解釈が「ちょっと違う」という事に気づかされた・・・そんな感じです。
 
例えば家庭内において、無人の部屋の電気を点けておく必要はなく、しかし、それには確実に
「電気使用料金」が発生し、結局、不必要な事柄に対し、本来であれば発生させずに済む
支払いが生じるわけですから、「もったいない」の一理はそこにあるわけで、
それが間違いだ、というコトではなくて。
 
私にとっては「あって当たり前」だった「電気」というエネルギーがもたらしてくれていた
恩恵という価値観、便利さの意味と境目、何を以って必要・不必要とするのか・・・
などなど、そういったことにじっくりと向き合う機会が与えられた、という感じです。
おハズカシながら、ですが。
 
例えば、21世紀に生き、現代の日本で仕事をしている以上、やはり私には電気は必要です。
 
その発電に原子力が使われ、これからも日本の国の施策として使われ続けるのであれば、
それにより生み出され供給される「電気」を使用するほかないと思っています。
 
原子力エネルギーは、プルサーマルも含め、ある意味、自然界の資源を枯渇させることの
少ないエネルギーなのかもしれません。
 
ただ、そこから産み出される電気の供給量(生産量)には、限りがあるわけです。
まさに「電気を大切に」・・・どこかで見たようなフレーズです(今さらながら)。
 
私達が電気を使えば使うほど、電気は足りなくなり、結果、発電所が多数必要になり続けます。
供給する側にも立場があり、「(皆様が使って)足りなくなるから、増設しますね」の
図式が一つ、成り立つわけです。
 
私は原発反対・推進、どちらでもありませんが、ただ、これ以上、原発を増やすことには絶対反対です。
 
なので、原発の何をも解決する術も知識もない私が唯一できることは、根本からの「節電」を
考え実行することにより、たとえそれが一個人分のミクロな世界であったとしても、今以上の
電力消費しない、原発増設を絶対に阻止するという「意識の具現化」以外に方法がない、
と思っています。
 
そういえば、母は「電気がもったいない」とは言っておりましたが、一度たりとも
「電気代がもったいない」とは言ってなかったな・・・と。
 
言葉少ない母の一言には、謙虚に考えさせられました。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。